大学生活の振り返り

大学院を卒業する際に振り返ろうとして下書きを書いたまま放置されているブログを発見した。せっかくなので公開する。 当時使っていた iPhone を紛失してしまい、あまり写真が残っていないのがとても悔やまれる...

学部一回生

2016年4月、京都大学工学部情報学科に入学した。自分の学校からは京大へ進学する人が毎年50人程度いるので、何かあっても知り合いはいるだろうとあまり緊張はしていなかった。 それよりも、初めて一人暮らしできることややっと受験勉強から開放されることにワクワクしていた。 情報学科らしく Twitter をやっている人間がとても多く、Twitter 上でコミュニケーションをとることが多かった。(今でもそう)

当時は数学に傾倒していて、かなり真面目に取り組んだ記憶がある。 一方で、スキーサークルに入り、そちらの人間ともよく遊んでいた。 冬になるまではあんまりやることがないから、家が広い人間の家によく集まっていた。B1らしいムーブである。 スキーにはお金がかかるのでサークルの先輩の紹介でアルバイトも始めた。焼肉屋のキッチンの仕事で、週3~4回ほど出勤していた。 夜中まで仕事があるので徐々に朝起きられなくなり、板書がある講義にしか出なくなっていった。(元々人の話をただ聞くのがそんなに得意ではなかった。)

冬になり、サークルの合宿に参加したり、白馬五竜の飯森館という宿で居候生活をしていた。 合宿のある12/23あたりから1/8頃までと、期末試験直後(2/5頃)から3月中旬までずっと滑りっぱなしだった。 6時に起きて9時ごろまで配膳や部屋づくりなどの仕事をして、10時から16時まで滑り、16時半から20時ごろまで仕事をする生活だった。当然車などないから夜行ける店は徒歩20分のコンビニだけという状況だったが、友人や先輩方がたくさんいたのでとても楽しかった。

学部二回生

授業はこなしつつ、サークルのことやアルバイトをやったり、自分が読みたい本を読んでいた。 この年は夏も3, 4週間ほどスキーをやった。ピスラボという、スキー場に敷かれたマットの上を滑るものである。 当然それ専用の板が必要だったし、ブーツも硬いものに新調したので、アルバイトで稼いでいるわりには貧乏生活をしていた。 用事がないときは街にいってもできることがないので部屋に引きこもり、ずっと専門書を読んでいたように思う。

冬は当然のように雪山にこもっていた。夏冬合わせると年100日ほどスキーをしていた。

学部三回生

CPU実験をやったのが記憶に残っている。パタヘネを読みつつ 5段パイプラインを実装した。 この夏に蟻本を読んだりして、競プロを真面目にやり始めた。ある程度テクニックを知ったことですんなり水色まで上がった。 いくつかオンサイトにも行けたりした。東京に行く良い機会となった。

この頃アルバイト先の人間が自動麻雀卓を購入したため、0時ごろにまかないを食べ終わった後、その人の家に入り浸って朝までひたすら麻雀をやっていた。

冬になり、さあスキーをやるぞと思っていたのだが、最初の合宿の2日目か3日目に、コケた拍子に開放したスキー板で膝を切る大怪我をしてしまった。 この冬はサークルを引退する年でもあり気合が入っていたのだが、復帰することが出来ないまま引退となってしまった。

学部四回生

型システムやプログラミング言語の研究をする研究室に入りたいと思っていたのだが、起床が苦手なこともあり成績がよいほうではなかったので、あえなく敗退した。 院試で入りたい研究室に入るぞということで、5月ごろからひたすら対策をしていた。友人と集まって過去問を解いたりしているうちに、大抵の問題は解けるようになった。 院試は無事第一志望の研究室に入れたが、開示が8割程度だったにもかかわらずボーダーだったようで、怖いなあと思ったりした。

夏はF社 でインターンをした。会社が一ヶ月ほど東京のマンスリーマンションを借りてくれて、そこから通勤していた。(まだリモートの概念はあまりない時代である。)

12月ごろにベトナムで開催された ICPCアジア大会に飛び込みで参加した。(日本のアジア大会と違って 国内予選がないため) ちゃんと海外旅行をするのは初めてで、この直後にCOVID-19でなかなか海外へ行けなくなってしまったこともふまえるととてもよい経験になった。

春休みの間にR社でインターンをした。夏と同じように東京のマンスリーマンションからの通勤で、3月の間一ヶ月ほどの期間だったが、ちょうどこのころ COVID-19 が流行し始めた。(ダイヤモンドプリンセス号が2月) もう一度ちゃんとスキーをやろうと思いスキー板のチームに入って何度か合宿にも参加していたのだが、COVID-19 のため大会はなくなってしまった。

修士一回生(前半)

京都大学情報学研究科に入学した。 アルゴリズム分野の研究室で、競プロの気持ちになりつつ論文を読み漁った。

最後のICPCということで結構真剣に練習した。 結果は22位で敗退だった。(10位以内に入らなければ通過することはできなかった...)

休学

コロナで人と喋る機会もないし、あまり研究も進まないように感じたので、モラトリアムを延長した。

機会に恵まれ、G社でインターンシップをさせて頂いた。運悪くコロナの真っ只中でオフィスにお邪魔することは叶わなかった。人生で一度くらいはあの食堂に行ってみたかった...

修士一回生(後半)

単位を集めたり研究を進めたりしつつ、就活を進めた。

D進もいいなあと思ってはいたが、このときは特に考えていなかった。

修士二回生

よく喋っていた友人たちがほとんど東京に行ってしまって困った。学科の後輩やサークルの友人とよくつるんでいたように思う。 京大のいいところは大体の友人が自転車で集まれる範囲に住んでいて、今日飯を食いに行こうと行けばすぐに行けたことなのだが、そういう機会はなくなってしまった。

金銭的な支援を獲得できたらD進しようと思ったがあえなく失敗。 選考を待って頂いていたR社に就職した。

振り返り

あんまり多くのことは出来なかったなと思いつつ、書き出してみると7年でたくさんの経験をしたなあと感じる。 ぼちぼちやりたいことをやりつつ生きていきたい。